観察ではなく監視していませんか?
ひとりで練習するときには自分の音を録音したり、鏡を使ったりスマホで動画をとって自分がどうやって吹いているかを観察する必要がありますよね。
そのときは正しいやり方ができているかどうかチェックすると思います。
しかし実はそれ観察ではなく監視してしまっているんです。
【観察と監視の違い】
— かいとうゆうき (@HornKaichi) 2020年1月10日
自分の音を聞いたり、鏡で観察するときは〜でないとダメ。という考えだと観察ではなく監視になってしまう。
観察は事実を受け止めることだけど、監視は正しくしないといけないので身体が固まってしまいやすい。
【目次】
〜でなければならないという思いがある。
大抵の場合上手くなるためにレッスンで先生から教わった正しい吹き方で吹けるようにしようとしますよね。
しかしその場合正しいか間違っているかで判断してしまいやすいため身体が固まりやすく音が出にくくなったり観察しにくくなってしまうんです。
観察と監視の違い
例えばハイFを出そうとして音が外れてしまったとしましょう。
そのときに監視している場合だとこのような自分ルールに縛られてしまいます。
- 音が外れていてはいけない!音が当たるまで練習しよう!
- もっとたくさん息を吐かなければならない!
- 顎の張りを意識しなければならない!
反対に観察の場合は上手くいかなかったとき自分が何をしていたかに着目します。
- 音が外れたけれど今自分はどうやって吹いていただろうか?
- 音はどんな風に外れただろうか?(多少なり音はカスれているのか、それともスカーと息の音だけなのか)
- 吹いているときに何を考えていたのか?(外れるかもしれないという気持ちが隠れている)
観察の本質
僕は観察の本質を興味を持ってただ事実をただ受け止めることだと考えています。
仮に失敗しても間違っていると思われている吹き方であっても身体がどのように動いているのか。自分が何を意図していたかを興味を持って知ることで自分が次に何をすれば上手くいくかが明確になりやすいからです。
それでは。
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