完璧主義は努力を阻む
全くミスがないように完璧な演奏を目指してしまうと実は人が感動する演奏ができるわけではありません。
すごい!上手だねと褒められるわけでもありません。
むしろその反対。
全く努力できなくなるため楽器の上達が止まります。
完璧な演奏なんて存在しない
以前の自分は失敗することが怖かっため完璧に演奏することをゴールにしていました。
でもそれはまだ何もしていないだけだったんです。
完璧な演奏なんて本当は存在しません。
なのに完璧を求めるからおかしなことになってしまったんですよね。
完璧主義は成長のチャンスを逃す
- オーデションを受ける。
- コンクールに出場する。
- 難易度の高い曲に挑戦する。
音楽家は本来自分が成長するための機会を自分で探していく必要があります。
だけど
- まだ自分にはオーデションは早いかな。
- 準備ができていないからコンクールはまた今度にしよう。
- まだ基礎ができていないから基礎固めしよう。
確かに成功するために準備をしておくことはとても大事です。
でも「それいつまで準備しているつもり?」
ってくらい失敗を怖がって準備ばかりして以前の自分は何もできなかったんです。
もうね。それ言い出したらキリがないんですね。実は。
「100パーセント完璧な準備ができてから挑戦しよう!」なんて言っていたらいつまで経っても何もできないんです。
時間がいくらあっても足りない。
準備は準備であって努力ではない
僕は今まで準備と努力を同じだと勘違いしていたんですよね。
準備はあくまで努力しやすくするもの。
例えば山に遠足に行くと弁当や、水筒、お菓子なんかをリュクに準備したりしますよね。
でも別に弁当、水筒、お菓子を完璧にリュックに準備したからと行って山の頂上に辿り着けるわけじゃありません。
自分で歩かないと山の頂上にはたどり着けないんです。
でもお腹が減ったら歩けなくなるし脱水症状になったら倒れてしまうかもしれない。途中で転んで怪我するかもしれない。 だから準備は必要。
準備はあくまでもしもの時に努力を継続するためのものなんです。
でも努力は違います。
努力とは自分の足で歩くことです。
山の頂上(自分の目標や夢を達成するまで)に近ずくため自分で歩きつずける必要がある。
確かに途中で転んでしまうかもしれない。
だから努力には失敗がついて回るんです。
それでは。